末代まで犬飼ふべからず

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where_is_thisさまざまな思いを心の奥深くにかかえ、今年も8月15日をむかえた方がいらっしゃると思います。8月15日は敗戦の日でもありますが、お盆ですもんね。Día de los Muertos、死者の日。

わたしも亡くなった人や犬たちのことはお盆に限らずなにかにつけていつでも思いをはせますが、やはりこの時期はふだんよりたくさん考えます。お盆前後は夢に現れることも多いですね。もちろん、戦争についても、いつもより多くのことを考える時期です。

さて、タイトルの”末代まで犬飼ふべからず”について。敗戦直後の昭和21年に、「動物文学」の会員であった森永義一先生が発表した記事の最後に書かれていた文章です。

お国のために徹底的な節制生活が奨励され、隣近所や町内で監視しあう時代。それはモノだけに留まらず、個人の思想や、各家庭で可愛がっていた犬猫にまで及びます。ヒステリックで同調圧力の強い世の中、ほんのすこし想像しただけでも息がつまります。

議員のなかには犬猫不要論を主張する人もいました。

もう一点、これは軍に直接関係のあるものでありますから、陸軍大臣にうかがっておきます。この議会におきまして過日来飼料の問題が大分論じられています。これは戦争中どこの国でもあることでありまして、現に陸軍でもご調査はありましょうが、独逸などではこの前の欧州大戦中犬猫を殆ど殺してしまった。これはただ物を食ってだして益するところがない。(中略)食うものがなくて困っている。そういう際に犬猫を撲殺することに陸軍が努力したらどうか。(中略)軍用犬以外の犬猫は全部殺してしまう。そうすれば、皮は出る、飼料はうんと助かります(後略)

1940年2月23日 第75回帝国議会衆議院予算委員会 会議録/北 昤吉(きた れいきち)議員発言 – 犬の現代史(今川勲著/現代書館)

戦時中、動物の命も人の命も同等に考え、犬や猫を家族とおもって暮らしていた人たちにとって、この時代の空気は非常に厳しいものであったと想像に難くありません。

人間の食べ物さえなかなか手に入らない状況で、前述の森永先生は2頭の柴犬と暮らしていました。

私達はほんたうにいろいろなものを食った。そして、人間も犬も痩せ細りながら生き抜いてきたのである。「人間さへも、食ふや食わずでゐるのに、犬など飼っている」といふ世間の人の、陰の、又露はな非難、またさう、非難されるであらうと思ふ心の苛責を、私は、この二つの小さな命をいとほしむ心に引かれて、ぢっと耐えて来た。
飛行機の座席に用ひるとか、飛行服に使ふとかいふので、犬を献納するといふ運動が起こった。否、命令が発せられた。去年の三月の事である。飼料に困った人たちは、「犬も死に所を得た」とか「国のお役に立つのだ」とか、強いて自ら慰めて献納した犬もあらう。(中略)私としては、ひとつは十年以上、今ひとつは五年も飼った。(飼ったといっても、私の場合は、普通の犬を飼うといふ観念とは異なって、文字通り寝起きを共にし犬が私の子供である)その犬が、生皮を剥がれる光景を想像すると、自分の体に刃を加へられる以上の苦痛を感じるのであった。これは、私の犬に対する感じを知らない人から見ると、誠に笑ふべき、また軽蔑すべきことでもあり、私も自分のわがままを恥ずかしくも思ふのであったが、どう考えても決心のつきかねることであった。

動物文学 第九十九号掲載 「犬のこの頃」より

森永先生が犬たちを散歩に連れ出すのは朝は人が起きない時間に、夜は日が落ちて暗くなってからであったといいます。供出犬については、昨年の夏に日本テレビの終戦ドラマスペシャルで取り上げられたこともあり、ご存じの方も多いかもしれません。

森永先生のように人目を憚って犬と暮らし続けた人もいたでしょうが、多くのひとは非国民と呼ばれ村八分になることをおそれ、泣く泣く供出したのではないでしょうか。そして、「お国のためになるのなら」と差し出した犬や猫ですが、撲殺されたその状態によっては、毛や皮をとることもできず、ただ命を奪われただけの犬猫もたくさんいたことでしょう。

こういう時代は突然やってくるものではありません。ごくふつうのなんでもない日を送っているうちに、無関心でいるうちに、気付かぬうちに、宣伝媒体にすり込まれた情報を何気なく目にし、耳にしているうちに、少しずつ少しずつやってくるのです。

自分のあたまで考えているつもりでも、その意見はテレビに出ているどこかの誰かが言っていたことで、「そうだそうだ」と頷いていることはないでしょうか。テレビに出ているどこかの誰かが言っていることは本当に正しいのでしょうか?その人はなにを元にそのような発言をしたのでしょうか?

戦争の犠牲になったのは人間だけではありません。国境も人種も宗教も思想も、なにも関係なく生きている動物たちも、ある日突然人間の都合ではじまった戦争の戦火に焼かれ、住みかを奪われた戦争の犠牲者です。人間はさまざまな運動や活動によって僅かな補償を得られることもありますが、動物たちには一切、なにも、補償はありません。例え種が絶滅したとしても。

最後に、森永先生の文章のしめくくりを引用します。心から犬を愛する人が、このような思いになってしまった時代のことを考えると本当に胸が痛みます。そして、胸を痛めているだけではいけないなと、毎年おもいます。

私はもう、今ゐる犬以外には犬を飼ふ気持ちがない。今ゐる犬が天寿をまっとうして死ねば、私はもう犬に、おさらばしたいやうな気がする。そしてもし私が子孫のために家訓を書き残すとしたら「末代まで犬飼ふべからず」と書き残すであらう。それほど犬を愛することの苦しみは大きかった。

参考書籍:
 

2015/09/14追記:
帝國ノ犬達 – 明治から昭和の敗戦に至る時代を生きた犬達のお話し。
戦時中の犬の毛皮供出に関する資料、犬の戦時史についてとても勉強になる記事でしたのでリンク貼らせていただきました
http://ameblo.jp/wa500/entry-10923787782.html

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