はじめまして。現在2匹のスムースチワワと暮らしてますHN:micaです。実家にはわたしが産まれるまえから秋田犬の太郎という、とても大きな、穏やかな性格のオス犬がいました。幼稚園にあがる頃、背中にまたいで乗った記憶はあるのだけれど、わたしが可愛がってあげるまえに逝ってしまった。だから、次暮らす犬のことはうんと可愛がろうって決めていて、そして迎えて姉妹同様に育った犬、チワワには格別な思い入れがあります。
はじめてのチワワは、わたしが小学生のとき(1973年)迎えた牛柄 白黒スムースチワワ。
母と弟と一緒にチワワのブリーダー宅に行った日のことは、いまでもよく覚えています。そのブリーダーは毎日チワワたちのために、てまひま愛情かけて、手作りの食事をつくってました。わたしたちが着いた時刻、ちょうどご飯を与えはじめるところで、たくさんのチワワたちが一斉によろこんでよろこんで大騒ぎ。
我が家の初代チワワとなった「リリ」は、ほかの子犬よりも、少し大人びた感じのする子犬でした。おどおどした臆病さは感じませんでしたが、明るいとは言いがたく、積極的でも活発でもない。ブリーダーは「甘え下手なコなの」と言って背中を撫でていました。まさか、わたしがその甘え下手な白黒の子犬をひとめで気に入ったともしらずに。
人見知りするその子犬は、わたしには「思慮深い犬」にみえ、動物としての誇り高さすら感じました。お願いして抱かせてもらい、目と目があい、母と弟がまだブリーダーと会話を楽しんでいる時に「この子一緒に連れて帰ろう」と言っていました。
初めての夜、用意したケージに毛布を敷き、リリの寝床を用意し、リリはそこで眠りました。寂しがって夜泣きをするとか、食欲をなくすということもなく。夜中、ある気配を感じてふと目を覚ますと、なんとリリはわたしの布団に入ってきていました。シャイなリリは、目が合った瞬間あわててケージに戻ってしまいましたが、最初の夜、心細い気持ちであったろうリリがわたしの布団を選んでくれたのは今でも忘れられません。
リリが我が家に慣れ、家族として、飼い主として認めてくれるようになると、その愛情は本当に真摯で深く、忠実なものでした。小学生だったわたしはたった2Kgの小さな体のリリから、どれだけ多くのことを学び、支えられ、助けられたことか。
リリを迎えて2年ほど経ったころブリーダーから連絡があり(時がきたら交配する約束をして連れて帰っていました)交配、リリが出産。自然分娩で5匹産まれ、2匹は死産、無事に育ったのは3匹。3匹の可愛い仔犬たちを、愛情深く育てるリリの優しい顔。3匹とも残したかったのですが、ブリーダーとの約束もあり、我が家に残せるのは1匹だけ。未熟児で生まれ、なにかと心配の多かったチャッコを残すことにしました。ブリーダーのもとに行ったほかの2匹の仔犬たちは、ホームシックから食事も摂れなくなったことを伝え聞き、家族みんなで心を痛めたこと、忘れません(ブリーダーのお世話のかいあって、ほどなく元気を取り戻したとも聞きました)。
当時フィラリアの薬や混合ワクチンもなく、リリとチャッコが受けていたのは法に基づく狂犬病ワクチンだけ。それでも、ある年齢までは病気ひとつせず、2匹は年を重ねてくれました。
家族としてどんなに心砕いて暮らしていても、犬は犬の寿命しかもっていません。こちらが思っているよりもはやく、別れの日が来ます。
先に逝ってしまったのは、娘のチャッコ。大好きなご飯のあと突然倒れ、倒れたその日に病院で亡くなってしまいました。享年17歳(死因は乳腺腫瘍からの転移だったようです)。臆病なチャッコを、苦手だった病院で死なせてしまったこと、母はとても悔やんでいました。わたしもです。でも、亡くなる日にも大好きなご飯を完食し、短い散歩もたのしめた。これだけは、よかったといえます。
チャッコがいなくなって本当に寂しかったし悲しかった。でも、さらにつらかったのは、毎日遠吠えをしてチャッコの姿を狂ったように探していたリリ。
リリは眠らずにチャッコを探しつづけました。毎日続くリリの悲しい遠吠えの声は、今でも忘れられません。遠吠えをやめたあとはボボッ ボボッと、独り言も多くなりました。
チャッコが急逝してちょうど半年後の朝、リリは老衰で19年の生涯を閉じました。リリらしい、静かな死に方でした。
リリを失った喪失感。これは筆舌に尽くし難いです。どんなに可愛い仔犬をみても、静かな老犬チワワの、あたたかい瞳が恋しかった。りんりん颯爽と歩く若い犬より、とてとてよぼよぼとマイペースで歩く老犬チワワの足取りが、心から恋しかった。だから新たなチワワを長い間ずっと、迎えられずにいました。
リリを亡くして7年ほど経ったある日。わたしは再びチワワを迎えることになりました。それがパウです。パウを迎えて半年後に黒を迎えました。黒に会うのをとても楽しみにしていた母ですが、黒を迎えた翌々日に心筋梗塞で急逝。
母はまるで初孫のようにパウのことを可愛がっていました。いつもごきげんな顔でのんびり明るい母でしたが、パウのおかげでさらに、母の人生の最期はとてもたのしく明るいものとなり、すこしは親孝行できたかなって思えます。そして、突然母を失ったわたしは、あのときパウと黒がそばにいてくれなかったらどうなっていただろう。
あのときわたしを支えてくれたパウも黒も、いまはもういません。2011年6月26日、12歳3ヶ月という若さでパウは他界、パウと大のなかよしで愉快でたのしく誰よりも賢い黒も、まだまだ元気だったのに、2014年9月16日 15歳で急逝しました。黒の急逝について、わたしはまだ多くを語れないままいます。
黒が急逝して3ヶ月後、ラナを迎えました。チコもラナも元保護犬です。
チコは保健所に持ち込まれる前に、当時わたしが管理していた里親募集の掲示板に相談があり、もともと一時預かりのつもりで預かったのですが、わが家の犬になることに。ラナは飼育放棄後保護団体に保護され、縁あってわが家に迎えることになりました。
リリと暮らしはじめたころは、まだチワワ自体、外で会うこともめずらしかったですし、里親募集といえば中型犬や大型犬のMIX犬が多かったのですが、いまでは小さな犬も純血種も、たくさん里親募集で見かけるようになりました。
終生飼育を心に誓って犬との暮らしをはじめても、どうしても手放さざるを得ない事情もあるのかもしれません。ただ、もしこのページを犬との暮らしを手放さざるを得ない方が見ておられるとしたら、どうか遺棄するまえに、保健所に連れて行くまえに、新しい家族を探す努力をしてほしいなと思います。どうしたらよいかわからないときには、命を繋ぐお手伝いをしてくれる個人・団体に相談してくださいね。
2018/09/15追記
永遠の末っ子キャラ(ラナがきたあとはすっかりお兄ちゃんらしくなったけど)、可愛い可愛いチコですが、2016年5月22日に永眠しました。
そして2017年の12月、ラナと同じ保護団体(WonderfulDogsさん)からナチョを家族に迎え、わが家はふたたび2スム生活に。ちょっと態度のでかい弟だけど、ラナチョコンビ、なかよくしてます!