2016年5月22日、わが家のあまったれ坊や、永遠の末っ子の名をほしいままにあまえつくしたかわいいかわいいチコが、11歳という若さで急逝しました。体調を崩してから、わずか2週間のできごとでした。
はじまり
GW中盤、さほど気にならない程度の咳がはじまりました。ごはんの準備中に興奮して吠えたときにむせる程度の。
チコは持病として僧帽弁と大動脈弁の閉鎖不全があるため、気にならない程度とはいえ咳があればかかりつけを受診していました。このときも、5月8日に受診しています。心雑音のレベルに変化はなく、レントゲンでも肺はクリアで心臓に肥大もなく、気管支がちょっと荒れてるかもねという診断。抗生物質、鎮咳、気道粘膜調整の3種類を処方されました。
しかしいっこうによくならない咳。薬の効き云々とは別のモヤモヤといやな予感を抱えて5月9日にかかりつけの病院に電話をすると、抗生物質を飲ませてまだ2日目だし、飲ませきってから再診してはどうかと言われました。しかしこの日の深夜、最初の夜間救急病院にかかることになります。
TRVA1回目
日付けが5月10日になってから、チコの咳は激しさを増しました。撫でてもツボをおしてもいっこうに止まらない咳。苦しそうな呼吸。もう自宅でできることはなにひとつないと判断し、夜間救急動物病院 TRVAに電話、連れて行きました。到着後の検査・処置は本当に素早く、あれよあれよというまに担当の先生から状況の説明を受けることになりました。
しかしこのときに撮ったレントゲンでも、肺にも心臓にも問題は起きていなかったのです。肺水腫ではありませんでした。そしてさらに言えば気管虚脱でもない。テルブタリン(気管支拡張)を注射し、朝方に帰宅。かかりつけ病院が開くのを待ち、TRVAでの検査資料を持参して朝イチでかかりつけを受診することとなりました。
やはり心臓や肺に問題はなさそうだということで、咳止めのシロップ(ベトルファールシロップ)を処方され帰宅します。
ベトルファールシロップは確かに飲ませた数分後〜数時間は効いているように感じました。チコの負担を減らすという意味ではよいお薬でした。ただ、やはり頓服ですし、咳自体、咳の原因となるものを治すお薬ではないので不安は募るばかりでした。
最初の心停止、そして蘇生
何度検査してもクリアな肺と心臓。しかし日を追う毎につらそうになる咳、呼吸。それをベトルファールシロップでごまかしつつ、最初に処方された7日分の薬を飲みきったら再診する予定でいました。
しかし5月13日の深夜、やまない咳を止めようとベトルファールシロップを飲ませた直後(飲ませてから効くまでに10分くらいかかります)、チコはチアノーゼを起こし倒れました。呼吸も脈も止まっていました。青白い舌はだらんとたれ、白目をむき、首にもまったく力が入っていません。
ちがう、ちがう、今じゃない、心臓は問題なかったじゃない、肺も問題なかったじゃない
パニックになりそうな自分の腕をつねり、人工呼吸と心臓マッサージをしました。ほどなくしてチコは蘇生しましたが、動かしてよいのかどうかわからないくらいの衰弱ぶりでした。
夜間救急動物病院 TRVAに電話をいれ状況を説明したところ、電話にでた看護師の女性に、「そのままご自宅で看取るのも・・・」と言われましたが、いやいや、まだです、それはまだですと自分自身に言い聞かせるかのように答え、すぐに連れて行くことにしました。
「心臓も肺も悪くない、気管支が炎症起こしちゃってるのかな?」と、さほど強くない薬を処方されていただけの状況で、なんでこのまま看取りに入らなくちゃいけないのかさっぱり納得ができなかったんです。そう言われても仕方ない、ぐったりしたチコを目の前にしながらも。
TRVA 2回目
夜間救急についてからの検査でこのときにようやく、肺に異常がみられました。
生化学検査と血球検査、心電図、心臓の大きさ、電解質、これらはこの時点では問題がありませんでしたが、肺の上部にすこし濁りがあり、”肺水腫をおこしかけている”のではないかということで利尿剤の点滴、酸素室に入りそのまま入院することとなりました。
そして5月15日の朝、退院(TRVAは夜間救急のため症状が落ち着き移動可能な状態になればかかりつけに転院となります)、そのままかかりつけ医に行き、チコの表情にはすこし元気も出ていたのですが、まだ酸素室はあったほうがよかろうと、念のため再入院となりました。
かかりつけに転院〜退院(自宅酸素室)
チコはケージは嫌いではないし、むしろ自分から勝手に入る犬でしたが、病院という環境のせいか、酸素室の音に慣れないためか、TRVAに入院中すこし体力が出てくるとケージのなかで鼻を鳴らしたり吠えたり、外に出たがっていたようです。
TRVAを出たときのチコの表情は晴れ晴れとしており、やっと家に帰れるだろう安心感に満ちていました。そんなチコをそのまま家に連れて帰りたい気持ちでいっぱいでしたが、検査資料を持ってかかりつけ病院に連れて行かねばならず、まず無理なのは承知のうえで、自宅療養の許可がおりればよいのだけれど・・・と思いながら病院に行きましたが、やはりその日はかかりつけに入院させることになってしまいました。ここで自宅に連れ帰らなかったことが後々まで自分を責め、ペットロスを悪化させてしまった一因となっています。
肺の状態はまだ軽度ながら水がしみ出ている感じもあり、かかりつけ医ではできるだけ速く腎臓に負担の大きい利尿剤を減らす(或いは切る)したかった、心臓病のお薬がいままでより1種類増えるけど、これからが心臓病の本番だよと伝えられました。
わたしはわたしで、現状チコの腎臓には何も問題がありませんが、心臓病と長く付き合うには腎臓をどれだけよい状態で保つかが大切だと思い(わたしの母は人工透析をしていましたが、最期は心筋梗塞でした)、より一層腎臓をサポートするようなことをしてあげたいなとか、そんなこれから先のことばかり考えていました。
先述のとおり、チコを連れて帰りたい気持ちでいっぱいではありましたが、夜間救急を出て点滴から経口投薬に切り替えるときがひとつターニングポイントであったこと、また、元気な表情をするようになったもののまだ呼吸数も多く、担当医の目からみても飼い主の目からみても酸素室を設置していない自宅でに戻すのは不安すぎました。
後悔
チコをかかりつけの病院に置いて自宅に戻りましたが、深夜は無人になる病院ですので心配で心配でたまりませんでした。
また、その日運悪いことに、都内で震度3程度の地震が起きました。震度3なんて、なんてことない地震ですが、チコは雷や地震が大嫌い。家にいれば自分が落ち着ける袋に入って短時間で落ち着きを取り戻しますが、体調もまだいまひとつ、無人になった病院の酸素室の中でチコはどうしているのかとわたしも気が狂わんばかりの眠れぬ夜を過ごしました。
案の定、翌日の朝病院に電話をすると、酸素室の中にいるのにも関わらず舌の色が変わり元気消失していたそうです。呼吸の状態も肺の状態もよくないため、いちど減らした利尿剤の量も増えました。
チコの精神状態が心配でたまらず、利尿剤の投薬と酸素室という条件が揃えば自宅に戻せるかと担当医にかけあい、病院からの手配で自宅に酸素室を設置してもらうことにしました。家ならわたしが24時間付き添って看ていられますから。
今回自宅に設置した酸素室は日本医療さんのものをレンタルしました。チコは(そしてラナも)心臓病なので、いずれ必要になるだろうと、各業者さんの特徴や価格などのチェックはしていました。
FBで管理している老犬グループでよく話題にのぼるテルコムさんも候補に挙げていたのですが、
- 自宅のケージを利用しながら使える点
- 音がテルコムさんのものより静かである点(チコは音に敏感なので)
から、日本医療さんでお願いすることにしました。コスト的にはテルコムさんのほうがお得です(ひと月の上限額が決まっているので)。※2016年時点
日本医療さんは依頼の当日に設置に来てくれ、設置が完了した夕方、チコを迎えにかかりつけの病院に行き退院させました。迎えに行ったときのチコの様子、いま思い返してもおかしかったです。わずかではありましたが四肢に震えがあり、元気もなく、わたしをみても最初はぼんやりしていて(いつもならお尻をぶりぶりふって大騒ぎです)、酸素室に手を入れたわたしのニオイを嗅いでようやくシッポをふりはじめる感じ。目が見えてない?とおもってしまったくらいです。
元気がない理由については検査結果でナトリウム値が少し低めであったことなど考えられましたが、とはいえさほどその数値が深刻なものでもないという説明で、病院にいるあいだは体を横にして休むことなく、前を通る人を目で追い、出してほしそうな態度を取っていたことなど聞いており、とにかく自宅でゆっくりと眠らせてあげたいと思って連れ帰りました。
自宅〜再びTRVA(3回目)へ
自宅に戻ってからはほっとしたのか、眠るようにはなりました。
ラナもそんなチコの横に、ぴったり寄り添い離れません。ラナを里親で迎えてまだ1年4ヶ月。チコは最初からラナのこと、とてもあたたかくやさしくおちゃめに、なんのてらいもなく受け入れてくれました。この2匹、本当に仲がいい。病めるときも健やかなるときも、寄り添っています。
元気も食欲もありませんでしたが、咳はなくなっていたのでゆっくり休んで食欲を取り戻し、これから元気を回復してほしいと願っていました。しかし、元気も食欲も戻ることなく日に日に衰弱するチコ。頻繁に癲癇様の発作を起こすようになりました。チコはわが家に迎えてからいままで癲癇発作の症状を起こしたことはありません。持病として癲癇はもっていませんでした。
酸素は血管を拡張するので発作にも有効です。発作を起こしたときには酸素マスクを当て、しばらくすると発作がおさまり・・・その繰り返しになりました。常に酸素マスクを当ててあげている状態から動きがとれず、病院に電話したところジアゼパム(座薬)を出してもらうことになり、落ち着いた一瞬を見計らって座薬を受取にいきました。座薬をさすと少しの時間は落ち着いていられましたが、とにかく目が離せない状況。心臓の薬、利尿剤、これらはシロップに変えてもらっていたのでシリンジから投薬していましたが、なにひとつ効いている様子はありませんでした。
そしてその日の夜間、あまりにもぐったりしたチコの様子に、再度TRVAに連れて行きました。5月20日のことです。
低ナトリウム血症
※血液や残酷な画像はありませんが、ここから先にはお別れの写真が含まれます※
TRVAに運ばれるとすぐに挿管の処置が施され、その際再び心停止してしまいました。処置室に呼ばれると先生方に心臓マッサージをうけているチコ。どうにか冷静さを保つように心がけながら、近くに行き、耳元で名前を呼ぶとチコの心臓は再び動き出してくれました。
チコは低ナトリウム血症を起こしていました。正常値141−152のところ105、これは意識障害を起こすレベルで、この数値で飼い主のわたしを判別し、感情をみせてくれていたのは奇跡とも思えることでした。
しかし、ここまで酷い低ナトリウム血症を起こす理由も原因も見当たりません。利尿剤の量も減らしていましたから。腎機能は問題ありません。クレアチニンもBUNも正常値でした。とにかく、体内の電解質が大きく乱れアシドーシスが崩れた状態でした。
原因はわからない、だけど治療はしなくてはいけない、低ナトリウム血症の治療をすればせっかく抜いた肺の水がふたたび貯まるリスクもある、低ナトリウムの治療をすれば今度はカリウムが低くなるリスクがある、一進一退の繊細で微妙な調整でした。
そして、翌日に、チコは体内バランスを取り戻しました。問題は人工肺でなく自力での呼吸が保てるかどうか(人口肺は48時間以内に外さないと酸素中毒を起こしてしまいます)、そして、挿管を抜くとき。このときに興奮して逝ってしまう犬もいます。
しかしチコは自力呼吸も安定し、挿管を抜くときもがんばって耐えてくれました。麻酔が覚めると、あまったれて吠えたり鳴いたりできるほどに回復していました。目力も戻っています。救急医療と優秀なチーム医療の底力を見た気がします。繊細で難しい処置を迅速な判断で行ってくれました。
TRVAの先生方をはじめ飼い主も、もう回復に向かうだけと安堵し、
わたしもひさしぶりに、本当にひさしぶりに、家で数時間の昼寝をとることができた日でした。
しかしその日の夜、5月22日の19:45頃、わたしの携帯電話が鳴りました。
夜間救急の担当医の先生が出勤される時間でしたので、現状の報告のお電話だといいなと思いながら、でもやはり胸騒ぎに緊張しながら電話をとると
「容態が急変しました、すぐに来て下さい」
という知らせでした。
急いで急いで、ひと目だけでも会いたくて病院に行くと、容態が急変したというチコに心臓マッサージが施されていました。
チコの名前を呼び、声をかけるとチコはわずかに反応しました。うっすら笑ったようにもみえました。でも、今度こそ本当に、心臓が止まってしまいました。最期にわたしの声がチコに届いたことを確認はできましたが、なんでこんなことになってしまったのか、なんでチコが死ななくちゃいけないのか、死ぬほど心臓や肺の状態が悪かったわけでもなく、生化学検査の結果も良かった。そもそもただの気管支炎じゃなかったの?体内の電解質バランスが酷く崩れてしまった理由がなんでなのか、いまでもさっぱりわかりません。
TRVAの先生方は最期の最期まで、本当に親身に真摯に手を尽くして下さいました。飼い主の心にも寄り添ってくださいました。だからわたしは夜間でも朝方でも病院でチコの側から離れずにいられたし、最期にみせたチコの顔も安らかでした。
チコはがんばりましたよ。あの、あまったれで怖がりのチコが、いままで暮らしたどの犬の最期のときよりもいちばんがんばって、最期まで諦めず、3回の心停止から甦えっただけでなく、さいごにチコらしいあまったれでやんちゃな表情をみせてくれるまでになりました。
しかし、もう二度とチコのいるしあわせがこの手の中にないこと、飼い主にとっては取り返しのつかない現実です。まだまだ、とてもじゃないけど受け入れがたい。荼毘に付したあとでも受け入れられない現実です。
とても安らかな顔をして、まるで家にいるときと同じように眠っているけれど動かなくなってしまったチコをTRVAから連れて帰るとき、いつも散歩していた公園を通って帰りました。この2週間のあいだに何度か生きかえってくれたようにまた生きかえって、キャリーのなかから顔を出してくれるといいなって思いながら。
最期までチコを応援してくださったお友達のみなさん、チコを可愛がってくださったみなさん、心配で眠れず食べることもできない日々、チコを失って悲しくて悲しくて押しつぶされてしまいそうな日々、たくさんの方に励ましていただきました。心から、感謝します。ありがとうございました。
チコの最期の顔は、本当に美しく綺麗でした。わが家のあまったれ坊やの最期の顔は、ちょっと得意げでどこか清々しくて凜としていました。
チコとピクニック
チコが逝ったあといちどだけ、夢で、チコを囲んで家族でピクニックしている夢をみました。現実にチコとピクニックしたのなんか本当にまだ最近のことです。1ヶ月も経ってませんよ。新緑がまぶしいねーなんていいながら、芝生のうえでさんざんあまやかしてました。あれは夢だったのだろうか。本当にまだ最近のことなのに。
チコはからっとした気持ちのいいお天気の日に家族で出かけて、そして家族の中心にじぶんがいて、みんなが笑っているとゴキゲンでゴキゲンで、とにかくゴキゲンで、あまったれが冴えわたる犬でした。具合が悪くなる直前、チコが家族と過ごしたさいごのGWの写真です。
悔しい。チコがいないことが本当に悔しい。嫌がる薬を飲ませたこともいまとなっては心苦しい。チコが苦しんだ時間の何倍も何百倍も自分を苦しめたい。そのほうがラクだから。でも、チコは笑ってる家族の中心にいるのが好きな犬です。だからわたしも苦しみたくはない。でも苦しい。
もうチコを抱っこできないのも撫でることができないのもからかうことができないのも、さみしくて辛くて仕方ないけど、姿のみえないチコが家族の中心でゴキゲンでいられるように、まぁまぁ無理せず、チコを思い出して笑えるように努力することにします。ありがとう、大好きなチコ。またね。また遊ぼうね。パウと黒、どうかチコをよろしくね。